仮説とは適度な距離感で付き合うことが必要

以前に、Twitterで書いた下記の件について。

このように書いたが、勿論、仮説思考を否定するものではない。
コンサルタントに限らず、物事を考える/進める際には仮説思考というものは非常に重要だし、それにより質も効率も高まるのは間違いない。

一方で、「仮説思考」を間違って捉えている人が多いとも思う。

「キックオフの際に示した仮説がほぼ正しかった」ということが、非常に優れたコンサルタントの仕事の結果だったように言われることが有る。
これを誇らしげに語る人も少なくないのだが、ここに違和感を覚える。

仮に「初期仮説が正しかった」という認識になった場合には

  • 提言が抽象的なレベルに留まっている
  • 検証が(意図的か否かは別として)「仮説を正当化する」ためのものになっている
  • 重要なことが何なのかを見誤っている(見落としている)

という可能性が高いと考えている。

仮説を用いる理由は、解像度を上げてみる対象を絞り込むため。
もしも仮説が無ければ、隅から隅まで解像度を上げてみることが必要になる。
謂わば、仮説は思考の「取っ掛かり」。

しかし、仮説はあくまでも「一般論」に過ぎない。

経験値が積み上がれば、「恐らくこういう感じ」というような感覚が付いてくる。
これにより、確かに最初の段階からかなり精度が高いと「感じられる」仮説を組むことが出来る。

これにより、おおよそのことは想定内になるのだが、あくまでも一般論。自分の中では「顧客に対する洞察」のようなものという錯覚が生じ得るが、所詮は洞察を抽象化した結果に過ぎない。
もしくは、他社での経験値。

結局、解像度を上げ切れておらず、抽象的な認識の範疇から出られていない。

セミナーで喋るのであれば、このレベルであってもかなり「掘り下げて考えている」というように受け止めてもらうことも可能だと思う。
しかし、コンサルタントとしてある顧客を相手にした時には、これでは不十分。

最も重要になるのは、「これまでの経験則などから導かれた一般論に対して、この顧客企業が異なる点は何なのか」ということ。

この部分が、顧客が抱える問題の根幹への切り口になる可能性が高いと感じている。

「仮説思考」の最も危険な点が、「仮説を裏付ける」という行動に繋がり易い点。

この点は以前にブログ内で書いた。

「仮説を裏付ける」=「仮説を正当化する」方向に持って行く理由は2つ有ると感じている。

一つは上記の記事で書いたようなスタッフの「勘違い」と言えるようなもの。「仮説を正当化する」ことが「優秀」であることと誤認している。

もう一つは「答えありき」で考えている場合。

典型例が、下流側でシステム開発に繋げたいような場合。「ここに課題が有る。故に、当社のこのソリューションを入れるべき」という提言に持って行きたいような場合。
それ以外にも、「自分の得意領域に持ち込む」ためにやる場合も多い。
いずれにせよ、真のコンサルタントとは言えない。

「仮説思考」では何に気を付けるべきなのか。

「仮説は忘れろ」と言われることも有るが、実際にそれは難しいし、本当に忘れてしまったらそれはそれで問題。

重要なのは、作業の節目で「仮説を否定するロジック」を考えることだと思う。

基本的には仮説に従って作業を進めて良いと思う。常に仮説を疑ってかかっているときりがない。
しかし、一つの検証を終えて「仮説が正しい」という結論になった際、一度、「仮説が誤っていると立証するためにはどうすれば良いのか」という思考を巡らせる。

加えて、相手が「仮説思考」に慣れていない場合には、顧客等に対して仮説はあまり示さない方が良いと思う。

コンサルの場合、相手がコンサルを使い慣れているような顧客の場合には、提案時やキックオフの際に仮説を示すということを当然のように行うと思う。
しかし、慣れてない顧客の場合には、仮説を示すと、それによって思考が固まってしまうことが有る。

それ以上に危険なのは、経過報告時に仮説を示すことで、結果的に「仮説が棄却された」という報告をすると「言っていることが変わった」と捉えられてしまうことが有る。

この辺は、相手のレベルによってアプローチなり伝え方を使い分けることが必要。

ちなみに、「『初期仮説が正しかった』という認識になった場合」で3つ目に挙げた「重要なことが何かを見誤っている」ということについて。

これは、しっかりと検証段階で仮説を棄却し、重要なポイントへの踏み込みも出来ているのだが、「それは100のうちの10」というような認識で、「殆ど仮説通りだった」という認識になっている場合。

この場合には問題無さそうだが、全体を平べったく捉えてしまっている可能性が高い。
戦で10人の首を刎ねる功績を上げ、実はその中に相手の大将の首級が含まれているのだが、そのことに気付かず「10人の首を刎ねた」としか認識していないような感じ。

実はこれ、結構有る。
報告を受ける際にサラッと流しているのだが、「おいおい」となる。

これは別の面で問題が有るが、今回の話とは少し違うので割愛。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です