「分からない」中での判断だからこそ、論理的に考えるという文化が必要

コンサル業界に居ると「論理的に考え、説明する」ということは当然のこととして叩き込まれるが、世の中一般で見た時には、この部分に対する意識はかなり希薄だと感じる。

これは特に日本という国の弱い部分なのかも知れない・・・ということを、最近の政治を見ていて感じている。

今回のコロナ騒動に絡んで、政府の説明の適当さに辟易とした。
別に今に始まったことではないのだが、今回の件については特に、選択した政策に関する論理的な説明が必要である一方で、あまりにもそれが軽視されていると感じた。

今回のコロナの件に関して他の件と大きく違うのは、「分からないこと」が極めて大きい中で、非常に短時間で判断を下さなければならなかった、ということだと思う。
この感染症の特性や感染経路等々、非常に重要な前提条件について確固たる情報が無い状態で即座に判断をしなければならない。

日本政府が取った色々な施策について、結果として誤った判断だったと言わざるを得ないものも少なくなかったと思う。
これについて「誤った判断をした責任を取れ」といった意見も有るが、判断を誤ったこと自体は致し方ない。

「分からない」中で判断せざるを得ないのだから、半分は運。
この責任で首相などが辞めていたらキリがない。

しかし、「なぜそのような政策を取るのか」ということについて、論理立ててしっかりと説明すべきだったとは思う。
何が分かっていて、何が分からないのか。それを基に、何を目的として、どのような理由でその政策を取るのか。
そして、しっかりと総括をし、次に活かすこと。

これが不十分だと感じる。

とは言え、これは確かに政府の側にも問題が有るとは思うが、国民の側の問題の方が大きいと感じる。
論理立てて説明をしても、本来聞くべき側の人が聞く意識を持っていない。

考えることを放棄してしまっている。
自分で情報を得て、それを基に考え判断する、ということを非常に軽視している。

結局、政治家を選ぶ側の国民が論理立てた説明など求めていないので、政治家もその点を蔑ろにする。

政治というものを「他人事」と捉えてしまっている。
「政治家が考えるもの」であり、それに対する不平不満は言うが、「ではどうすべきだと思うのか」と問うと「それは私が考えることではない」となる。

これは企業活動でも同じことが言える。

経営の意思決定の場合も、「分からないこと」が極めて多いという前提の上で成される。
そのため、結果については運も非常に大きいと思う。

本来、「分からないこと」が多ければ多いほど、論理的に考え、コミュニケーションを取ることの必要性が大きくなると考えている。

しかし現実には、「分からないことを考えても仕方が無い」というような風潮が残っている会社も少なくない。また、経営から従業員に対する説明においても、全く論理立てた説明がなされていないケースも多い。

確かに、「分からないこと」が極めて多い状態、例えば新規事業を進める場合などには、やってみて初めて分かることも多い。
恐らく、論理的に考えて導いた施策と、感覚的に導いた施策とで、最初の成功確率はたいして変わらないと思う。

しかし、だからと言って「論理的に考えたり、コミュニケーションを取る必要が無い」というわけではない。
施策を感覚的に導くのは悪くないが、とは言え、一度、論理的に整理すべきだと思う。
どこまで分かっていて、どこから分からないのか。何を前提として、どのような判断をし、それによりどのようなことを期待するのか。

理由は2つ有る。

一つは従業員を動かすため。
感覚的なものを感覚的に伝えても、全く統制が取れないし、そもそも動かないことが多い。

論理立ててコミュニケーションを取ったとしても、それについて納得するかどうかは分からない。そこは価値観など、全く別要素が入って来る。

しかし、少なくとも「納得はできないが理解はした」というレベルまでは持って行くことは不可欠。それに評価などを組み合わせ、統制を図ることが必要。

本当に強い会社は、経営と従業員の間で、論理立ったコミュニケーションが徹底され、その上で経営側が「どうやったって分からないこと」についての覚悟を決めていると感じる。
その覚悟を従業員側も理解しているので、本気で臨める。

もう一つは、総括する時のため。
論理的な整理がされていることで、総括の際に得られることが多くなると思う。

結局、総括の際に重要なのは、「何が当初の想定と違っていたのか」。
前提の認識なのか、それによって生じる影響なのか・・・等々。

全てが理論的に動くもの以外は、どこかで「想定(=仮説)」を置いて考えを進める。その中で、何が間違っていたのか。
仮説検証なので、この「間違っていた想定」こそが重要である可能性が高い。

論理的に考えて導いた施策と、感覚的に導いた施策とで、最初の成功確率はたいして変わらない。しかし、総括をしっかりと行った上での次の成功確率は確実に変わって来る。
(とは言え、実際には、失敗した施策についての総括をしっかりと行う企業は少ないと感じているが・・・)

総括を効果的に進め、意思決定の精度を高めるためにも、「分からない」中での判断こそ、論理的に考えるということをしっかりと行った方が良いと感じる。

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