「プロフェッショナル」とは何なのか

戦略コンサルタントは「プロフェッショナル」であると私自身は考えており、プロフェッショナルであることを追求していきたいと思っている。

では、そもそも「プロフェッショナル」とは何なのか?

この言葉は色々な場面で色々な意味を持って使われている。「コンサルタント」という言葉もバナナの叩き売り状態だが、「プロフェッショナル」もそれに近い印象が有る。

「プロ野球選手」を名乗るには条件を満たす必要が有るが、コンサルタントもプロフェッショナルも、それが無い。「私はコンサルタントである」もしくは「私はプロフェッショナルである」と名乗ってしまえば、その人はコンサルタント/プロフェッショナルであると言える。

「コンサルタント」については正直、それも致し方ないと思うが、「プロフェッショナル」には拘りを持ちたい。コンサルタントは仕事の内容を表している一方で、プロフェッショナルは精神を表している、と感じていることからだろうか。

プロフェッショナルについては今までも色々な人が定義付けを行っている。私自身も今まで色々な本を読んだり、色々な人の話を聞いて来た。

番有名なのは恐らく、ミラーソンによる定義だろうし、戦略コンサルタントは波頭亮氏の「プロフェッショナル原論」を読んだ人が多いのではないだろうか。

それらも踏まえて、現時点での自分なりの解釈(まとめ)。

professionに対するのはoccupationであると思う。

いずれも「職業」と訳すことが出来るが、意味合いが全く異なる。前者は専門性が高い職業という意味である一方で、occuptionは単に職業一般。

professionの「profess」は「宣誓」であり、そprofessionとは神に対する宣誓を踏まえて行われるもの。神から与えられた才能を活かして困った人を救済することを、神への宣誓に基づき行うものがprofession。

一方でoccupationの「occupy」は占有。何を占有するのかと言えば己の心身。

生きて行くためには塩(sal)が必要で、それを手に入れるための塩代(salarium)を手に入れるために心身を占有することがoccupation。

この違いが最も重要だと考えており、occupationはあくまでもsalary=生活の糧を得るために自分の心身を売る行為であり、professionは神との宣誓に基づき救済を行う行為。

言い換えると、生活の糧を得るために自分の心身を売った段階でprofessionではなくoccupationに成り下がる。

元々、プロフェッショナルと称されるのは聖職者、医師、弁護士の3つだけ。コンサルタントは含まれない。

ミラーソンの定義に「試験を通じて資格が与えられる」というものが含まれているが、コンサルタントは本来的なプロフェッショナルとしては実は決定的に欠落している要素が幾つか有る。つまり、コンサルタントは必要条件(定義)だけで考えるとプロフェッショナルとは言えないのかも知れない。

それ故に尚更、コンサルタントが「プロフェッショナル」を名乗るためには自分を律することが必要。

では、コンサルタントとして胸を張って「私はプロフェッショナルである」と名乗るためには何が必要なのか。

「コンサルタントはプロフェッショナルを名乗る根拠が曖昧」という前提の中で、個人的には下記の2つの生命線を守っている限り、取り敢えず「プロフェッショナル」と名乗らせてもらおうと思っている。

1. 顧客利益の追求

まず、これが絶対的条件と考えている。

恐らく医師が最も顕著だが、自己の利益を追求すれば不要な治療を施して高額な医療費を請求することも可能となる。これは顧客との間に非対称性が有るから。

コンサルタントも同様で、自己の利益を追求するために敢えて非対称性を生むことが出来る。コンサルタントが行っている分析というのは恣意性を入れようと思えば容易にでき、顧客の思考を誘導することも実は非常に簡単。

そのため、非常に強い事実と論理(のように見えるもの)に基づき「貴社の課題はこうで、こういったソリューションが有効」と示すことも可能。それが情報システムとか・・・。

また、顧客にとってコンサルタント無しに物事を進められない状況を作ることも容易。薬物のように「コンサルタント抜きに生きられない」という状態を作れば、リピートし続けることも可能。顧客にとって本当にそれが良いのか別として。

これらをやった瞬間にコンサルタントはプロフェッショナルではなくなる。

常に判断基準は「それが本当に顧客にとってベストなのか」。それだけ。

2. 自己成長の追求

プロフェッショナルは「自分の能力」を武器として闘う存在。仮にファームのブランドで勝負をしているとすれば、それはプロフェッショナルのコンサルタントとは言えないと思う。

この「自分の能力」だが、上限が無い。

戦略コンサルタントを長年やっているが、正直嫌気がする。常に眼前に「壁」が有る。

目の前の壁を超えれば新しい世界が拡がっているような気がして我武者羅に取り組み、全く登り方が分からない鏡のように見えた壁に僅かな取っ掛かりを見付け、ある日気付いたら登り切っている。

しかし、そこで見えるのは新しい壁・・・。プロフェッショナルの人生ってこんなものだと思う。

この壁に取り組む姿勢、ファイティングポーズを取り続けなければプロフェッショナルと称する資格は無い。

そして、この自己成長は全て「顧客利益を更に高める」ための手段。

「自分はできる」と思ったら、それはプロフェッショナルではなくなった時だと思う。

定義によってはコンサルタントは「プロフェッショナル」とは言えない。

けれども、上記の2つが備わっている限り、そのようなコンサルタントであっても「私はプロフェッショナルである」と言い切れると思っている。

取り敢えず現時点で思っていること。

「プロフェッショナル」というよりも「プロフェッショナリズム」について、と書いた方が良いのかも知れないが。

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