ゼネラリストとスペシャリスト

社会人としてのキャリアも20年以上が過ぎ、同期などと話しているとキャリアの「答え合わせ」みたいな話になることが有る。まだまだキャリアは続くし、答えは出ていないのだが、歳を取るとそんな会話も多くなる。
昨日も最初の会社の同期と会い、そんな話をしていた。

私自身は最初の会社は数年で辞めてコンサル業界に転じたが、同期の1人(A氏と称しておく)は社歴が20年に及んだ後に初めての転職をした。最初の会社は非常に日本的な企業で、A氏が(そして私も)属していたコーポレート部門はローテーションをしながら社内でのキャリアを積み上げることになる。

そこで上がった「ゼネラリストとスペシャリスト」という話題。

A氏曰く「ゼネラリストとして育ったので市場価値が無い」とのことだが、私はそうは思わない。ゼネラリストとスペシャリストという言葉が少し誤って捉えられているような感じがするので、その点について。

まず、ゼネラリストの市場価値が低くてスペシャリストの市場価値が高いということは無いと思う。私自身は究極的なゼネラリストだが、ゼネラリストとして一定の市場価値を受けているし、多くの「スペシャリスト」よりも少なくとも報酬面では高い水準に有るはず。

人事系の案件の際に私が気にして使い分けている表現として「スペシャリスト」と「エキスパート」というものが有る。
「スペシャリスト」は特定領域に「特化」しており、そこでの知識や経験、実績の蓄積によって「エキスパート」になるというニュアンス。
各社に「経理のスペシャリスト」というような人が居るが、仮に20人居たとして、その中で「エキスパート」として市場価値が付く人は数名ではないかと思う。

「スペシャリスト」は「私はこの領域に特化する」と宣言をすればなれるが、「エキスパート」はその中でしっかりと鍛錬することで初めて達することができるものかと。
その上で、エキスパートであったとしても必ずしも市場価値が高いわけではない。市場価値は需要と供給で決まるので、領域自体の市場性や人材の希少性などで決まる。

一方で、ゼネラリストであっても市場価値はしっかりと高めることができる。経営の課題は様々な要素が絡み合っていることが多いので、特定領域の専門家であるスペシャリスト/エキスパートでは埒が明かず、ゼネラリストの出番となる。
組織の課題をしっかりと扱える戦略コンサルタント(個人的にはこれを「経営コンサルタント」と捉えているが、この言葉はネガティブなイメージも多いので・・・)はゼネラリストだと思うし、そこまで達すれば(少なくとも現在は)市場価値はしっかりと高まる。勿論、今後については希少性次第だが。
「ゼネラリスト」も極めれば「エキスパート」になる。

A氏の「ゼネラリストとして育ったので市場価値が無い」という言葉に戻る。

A氏自身はゼネラリストして育ったと言うが、確かに自社内ではゼネラリストかも知れないが、人材市場で見た際には実はゼネラリストではなくて「特定の会社のスペシャリスト」のように感じる。自分の過ごした会社でしか通用しないような知識・スキル・経験が蓄積されている。
当然、他の会社に行ったら通用しないので市場価値は無い。

「ゼネラリスト」は本来的には、広範な領域について広く対応できる人のはずだが、実は市場に出ると何もできない。たまに聞く、中高年の転職で「何ができますか?」という問いに「部長ができます」という答えという話。これが特定組織に限定せず市場で通用する「マネジメントのエキスパート」というのであれば良いのだが、実際には自分が属した会社の中でのみ部長が務まるということに過ぎない場合が多い。

私自身はこんなことを最初の会社を辞める前に思っていて、A氏にも話していたらしい(私自身は全く記憶に無い・・・)。当時はA氏は「何を言っているんだか」という思いだったらしいが、40歳を過ぎて初めて元の会社を離れて痛感したらしい。

キャリアを歩む上で結構これは怖いことだと思う。特定の組織固有のスペシャリストに陥いると、会社に依存せざるを得なくなる。A氏は家庭環境から経済的な自由度が有るので離れることができたのだが、組織の中でどういう境遇になろうがしがみ付くしかなくなる。
このことを、辞めて初めて気付く。定年まで過ごし切れたらラッキーだが、様々な状況からそれができなかった時に辛い。

ゼネラリストであれスペシャリストであれ、「どの領域でエキスパートになるのか」は常に意識し続けることが必要だと思う。

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