プロフェッショナルの仕事はアウトプットの絶対値で考えるべき

昨日Twitterで書いたことに絡んで。

まず、本来あるべき「ホワイトな環境」は、効率を上げることを通じて所要時間を減らすということのはず。今の「ホワイトな環境」は、効率は変わらないままで到達水準を下げることで所要時間を減らしていることが多いと思う。

「プロフェッショナルファーム」。

私は「事業会社」をその対義語として位置付けている。

「コンサルファームもコンサルという事業を行っており、『事業会社』のはず」というのは正しいのだが、一方で「プロフェッショナルファーム」と「事業会社」は根本の性質が異なると考えている。

その決定的なものが、アウトプットの測り方だと考えている。

「プロフェッショナルファーム」はアウトプットを絶対値で測る。一方で「事業会社」は効率の観点が重視される。

プロフェッショナルファームは、先に投下できるものが決まり、その中で最大限のアウトプットを示す。
事業会社は先に求められるアウトプットの水準が決まる。それをいかに少ない投下で実現するのかを追求する。

元々の「プロフェッショナル」は聖職者、医師、法律家という3者。

医師が典型だと思うが、クライアントはプロフェッショナルに対して、絶対値としてより高い効果を求める。
医療費という明確な負担がのしかかる現代においては、クライアント側が費用対効果を考える場合が有る。しかし、プロフェッショナル側の都合での効率で判断されると厄介。
実際に起こっていると聞くが、「この患者は効率が悪いので受け入れない」といったことが生じる。受け入れた患者について「この手術は効率悪いから止めておく」ということまで有るのかどうかは知らないが。

コンサルの場合も、コンサル側の都合での効率で判断すべきではないと考えている。

コンサルの仕事では、言うなれば「ゴールを自分で設定する」ことになる。
顧客の要求を満たすこと=ゴールと考えることもできるが、実際には「顧客の要求を満たす」は設定するゴールの最低水準に過ぎない。

ゴールの水準は高ければ高い方が良い。いかに期待を上回るのか。

この時、ゴールの設定に「効率」という考え方が介在すべきではない。

仮に「100%」というものが有るのであれば良いのだが、実際にコンサルの仕事で「100%」ということは皆無だと考えている。そうすると、如何に「100%」に近付けるのか。

また、作業選択の際には効率を意識することが必要なのだが、この際の「効率」の捉え方に勘違いが有るように思える。

顧客が求める最低水準が100、投下できる工数が100とした時。

本来、作業選択の際の「効率」は、限られた時間を作業Aと作業B、どちらに振り向けるべきか、という観点のもの。作業Aと作業B、どちらの方がよりゴール水準を高く持って行けるのか。それを考えるもので、これは絶対に必要。

その際、投下できる工数が先に立つ。同じ100の工数を要する作業AとBが有る。作業Aに投下すれば到達水準は110、作業Bであれば120。それならば作業Bを選ぶ、という考え方が必要。

しかしながら実際には、100の水準に達するために作業Aだと80の工数、作業Bであれば90の工数。ならばAを取る。

ここまでは良いが、まだ有る20の工数。ここでその20を要する作業Cを行うと10だけ到達水準を高めるられるが、それを投下するのか。
この際に、「もう100に達しているから不要」という判断をするケースが多くなっていると感じている。

これが問題だと感じるのは、まず、到達水準の設定が甘い、ということ。

確かに、設定した100という到達水準が「顧客にとってそれ以上の必要は無い」というものになっていれば良い。医師で考えれば、それで完治する、という水準。

しかし実際には、「顧客からクレームを受けない」という水準で留まっている場合が多いように感じている。医師で言えば、「取り敢えず最低限の処置はしました」というような感じ。

加えて、100の到達水準に対して80の工数で達し、それで完了と考える場合に、その80が100に伸びることが多い。本来は作業Aを80の時間で終えて20は余裕時間となるはずなのに、結局100ギリギリまでかかるということが起こり易いということ。

そして、いつの間にか作業Aは100の投下工数を要するという認識になる。そこで余裕を生もうと、到達水準を引き下げるということが生じているように見える。

もう少し言えば、時間的な余裕が有っても到達水準を引き上げることはしないのだが、時間的な余裕が無くなると到達水準は引き下がる傾向が強い。

100の工数に対して80で終えても到達水準は100のまま。
しかし、投下できる工数が70まで下がると、「投下できる工数が下がったのだから品質が下がるのは仕方が無い」と、到達水準を90まで下げる。

「働き方改革」という風潮、制約の下、「限られた時間」自体が短くなるのは致し方ない部分も有ることは理解できる。

しかし、時間が限られるのだとすると、それを上回って効率を上げることが必要。幸い、10年前と比較してツールがかなり充実しているので、相当に効率を上げることができるはず。

「時代が変わった」という言葉も含めて、それを言い訳にしている場合が多いように感じる。「『働き方改革』が求められているのだから、アウトプットの品質が下がるのは致し方ない」、「時代は変わったのだから、そこまで求めるのは良くない」といったこと。

しかし、顧客側の要求水準は変化が無い。求められているのは「直面している課題を解決する」ということだけ。

プロフェッショナルである限り、「いかに高いアウトプットをするのか」ということを常に意識して取り組むことは、環境などと無関係に必要だと感じる。これは顧客に対しても当然だし、自分自身の成長に対しても同様。

そのように、自分を追い込む癖を付けること。

この癖を付けられるのか否か、付けるにしても如何に早く付けるのか。
この意識が決定的に欠けているように感じる最近。

自戒も込めて。

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