社会に出た時点で学ぶことに疲れ切っている

最近感じるのが、入社した時点で学ぶということについて疲れ切ってしまっている人が多いのではないのかということ。
特に私立のそれなりの進学校に中学から入り、頑張ってそれなりの大学に入った人。
(なお、トップ進学校から東大といったような人は、「勉強すること/学ぶことが純粋に好きなので、疲れているわけもない」という人が多い気がしている)

加えて、このような人は大学入学までにかなりストレッチして来ていることも多い。かなり一所懸命に勉強した結果としてその大学。そのため、伸び代も少なくなっている。
スポンジがかなり水を吸った状態になっており、吸収もし辛くなっている。

加えて近年、コンサルファームに入社して来るような人は、大学時代に無駄が無くなっているのではないかと感じる。就職活動自体がかなり早くから動き出すし、それ以前の学生生活も「良い会社に就職する」ために必要なことは何か?という観点で決まっているような気がしている。

私が子供の頃は「良い大学に入れば良い会社に就職できるし、そうすればその後に楽が出来る」ということが当然のように言われていた。「18歳までの精々10年間を頑張れば、その後数十年間に亘り楽が出来る」。そのため、大学に入ったら勉強をしないということが当然のような風潮だった。

この前提が既に崩れて来ているのは、誰もが気付いていることだと思う。
しかし、未だに「良い会社に就職する」ことがゴールになっている。そのために「良い大学に入る」、そのために「良い中学に入る」。少しでも良い会社/学校に入るために、苦痛を感じながらも背伸びをするということが多いと思う。

「良い会社」というゴールまでを見て走り続け、ゴールテープを切ったら疲労困憊になっている。

現在でも同じ仕事をしていても「良い会社」の方が待遇が良いケースは多い。また、「良い大学」に入ることが「良い会社」に入るための近道であることは確かだと思う。

しかし、「就職」をゴールとする考え方で生きるのであれば、それに即したゴール設定=「良い会社」選びが必要だと思う。

具体的には

  • 入った会社に運命を委ねる=運命を委ねられる会社を選ぶ
  • 仕組みによって動いており、個人の能力がさほど問われない会社を選ぶ

といったことが必要。
そして入社後は、少なくとも自分が定年を迎えるまでは状況が変わらないことに期待をし、理不尽なことなどを気にしないように瞑想して時が過ぎるのを待つ。

この点に照らすと、コンサル業界というのは対極にある。また、他業界でも上記のような条件を満たす会社は極めて少なくなって来ている。(正確に言えば、元から「良い会社に入れば安泰」などというのは幻想だったのだが、たまたま日本の経済事情により、あたかも現実かのように思われて来ただけ)

ゴールは「就職」ではなく、少なくとも「キャリアの完了」。「死ぬ時」なのかも知れない。
今の時代、ゴールまで辿り着くためには環境変化への適応が必要であり、そのためには学び続けるしかない。

コンサル業界はその中でも特に環境変化が激しい(すぐに陳腐化する)。そのため、必死で勉強し続けることが必要になる。
しかし、現状では「学ぶ」ことに対して疲れ切った人が多く入って来る業界になってしまっていると思う。
以前と比べて「良い会社」になってしまった(「疲れ切った」ような人が選び易い業界になっている)ことと、人員数が業界全体として多くなり過ぎたこと。これらが主な理由だと思うが。

「学ぶ」ということと「勉強する」ということはニュアンスが異なると思っている。
「学ぶ」は能動的、「勉強する」は受動的。

「学ぶ」ためには必要性を感じるか興味を持つか、いずれかが必要なので、やっている中で楽しみを感じられると思う。必要性を感じるということは、何かしらのゴールが自分の中で定まっており、そこに向かって近付く感覚が生まれる。
一方で「勉強する」ことは、多くの人にとって苦痛を伴う。

恐らく、大学1年生位までは「勉強する」という性質が強くならざるを得ず、大学で上位学年に行くに連れて「学ぶ」に切り替わるのだと思う。
これは、「学ぶ」ためには、その前提となる基礎知識などを「勉強する」ことが必要条件になるからで、どこかで切り替えることが必要になる。

しかし、今は大学でも「勉強する」ことに終始し、その延長線上で社会に出ても「学ぶ」モードに入れていない。
結果として、そもそも「勉強する」というスタンスだと通用しないし、苦痛を伴うので力が入らない。

とは言え、私の学生時代を振り返ってみると、ろくに勉強などしなかったし、「学ぶ」などという能動的なことは皆無だった。
ただ、コンサル業界に入って「勉強する」、更には「学ぶ」ことの必要性を痛感した時に、今まであまりに勉強しなかった反動で、それらを純粋に「面白い」と感じられることが出来た。これが大きかったと思う。

学生時代よりも社会に出てからの方が遥かに長い。私も、ようやく折り返し地点を迎えたのか・・・と感じることが有る(し、ゴールまでの距離も長くなる可能性が高い)。

それを踏まえると、スタートダッシュが長過ぎるし、そのままスパートに入るのは無理が有る。

学歴であったり最初に入る会社は「シード権」のようなもので、ここで良い条件を得ておくと有利なのは確か。そのため、できれば良い条件のシード権を得た方が良いのは間違いない。
私自身が「シード権」を持っていない立場なので感じるが、シード権を持っている人と闘う場に立つための闘い(予選のようなもの)が必要になるし、そこを勝ち上がるためにも運が伴う。

なので、スタートダッシュ自体は一定程度は有効だと思う(その加減も考える必要が有ると感じるが)。
しかし、自分の力に応じてペースを調整しないと、マラソン大会で最初の数kmだけトップを走る人になってしまう危険性が高い。ダッシュしてスタート直後の転倒とかに巻き込まれないように抜け出たら、一度落ち着いてペースを立て直す方が良い。

現状だと、スタートダッシュで必死になり過ぎ、確かに競技場を出る頃(=就職の頃)にはトップ集団に居るが、その後すぐに脱落している人が多い。
40年以上に亘ってスパートをし続けるのは無理。

「シード権」を持っている人で既に疲れ切っている人は、(足許はちょっと難しいが)1,2年程度、海外を放浪することなどをすると良いと感じる。

社会で生き抜くためには、スポンジを一度乾かすこと、「学ぶことに飢えた体にすること」が必要。そのためには、まずは「勉強する」という外から力が加わり続けた状態から離れること。その上で、異なる文化によって刺激を受ける。これが有効だと思う。

旅に出るのではなくても、何かしらの方法で一度乾かすことが必要。

このような人は、海外放浪などを「寄り道」と感じて抵抗感が有る人も多いし、若いうちは1,2年という時間を過大に捉えるのだが、歳を取るとそのような「寄り道」が実は価値が有ると気付くし、1,2年などという時間は誤算の範囲(疲れているうちに過ぎる)。

就職まで、よく頑張った!
さ、疲れたんなら仕事を辞めて、とっとと疲れを取ろう!!

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