「非常に優秀」と「優秀」の差は資質に因るが、「優秀」と「普通」の差は取り組みの違いに因る

これは恐らく、どの世界でも同じだと思うが、「非常に優秀」と評されるためには資質が不可欠だと思う。どれだけ頑張ったところで、資質に秀でていないと上位数%といった中に入ることは厳しいと思う。

一方で、「優秀」と「普通」の差はそうではないと感じている。
当然、最低限の資質が求められることは確かなのだが、それらは「限られた人しか備えていない」と言うような性質のものではない。

「優秀」と「普通」の差は、取り組みの違いによって付くと感じている。

「取り組み」というのは、一つには絶対的な量の問題。もう一つは方向性の問題。
「優秀」という評価が得られない場合には、取り組み量が不足しているか、もしくは、取り組みの方向性を間違っているという場合が殆どだと思う。

この点については、営業の仕事で顕著だと思う。
営業は成果(成約件数の場合)=アプローチ数×成約確率という非常にシンプルなゲーム。
営業成績が上がらない場合には、そもそものアプローチ数が足りないか、成約確率を高める工夫が出来ていない。
電話を掛ける、訪問する、といったことを怠っている。
もしくは、やってはいてもただ繰り返すだけ。如何に確度の高い顧客を見付けるのか、どのようなセールストークが効果的なのか、頭を働かせない。

裏を返すと、取り組みの量を増やし、やり方を工夫すれば、大概の組織では「優秀」レベルには到達できる。
タイムラグは生じるし、人により成果が上がるまでの時間差は異なるが、必ず結果に繋がる。
(プロスポーツの世界とか、トップティアのファームのような、本当の「上澄み」しか存在せず、その中での勝負になる場合は別だが)

スタッフと接していて感じるのは、必要な取り組み量に対する認識が甘い。

まず、自主的な勉強をしない人が多い。コンサル(特に若手)の場合、「必要な取り組み」はかなりの部分が「勉強」という言葉に置き換えられるのだが、これが決定的に不足している。

知識が必要なのであれば、就業時間の中で習得できるようにすべき、という主張も有るのだが、戦略論や財務、会計、人材管理などをそのような形でプロジェクトに必要なレベルで身に付けさせようとすると、1-2年程度は学校に通わせる必要が有る。
(不思議なのは、英語の勉強に関してはそのような主張にならない)
これらは、自分で時間を見付け、必死に習得するしかない。

加えて、取り組みに関する工夫が無い。「学び方」によって効率はかなり変わるが、そこへの意識が希薄。
哲学について学びたい、というのであれば聞く相手を選ぶ必要が有るが、戦略論などのコンサルとしての「基本科目」であれば、少なくともマネジャー以上であれば誰でも(例外が有るかも知れないが・・・)学んでおり、どう学べば良いかのアドバイスも出来る(はず)。
案件固有のことなども、まずは誰か知見が有る人が居ないか、そこから考えた方が良い。

これからその領域を学ぼうという人が「どう学ぶか」を自分で考えるのは無駄でしかない。
本も、本屋に行って「良い本」を自分で選んで買う、などはできない。「良い本」か否かを判断するためにそれなりの知識などが必要になる。

誰かに聞いた方が早いが、これをやらない人も多い。

「時代は変わった」とは言うが、結局、やっている人はどんどんやっている。
やらないのは勝手だが、それによって評価が低いのは自分の責任。他責するのは勝手だが、その間にも差は開いている。

さ、俺ももっと勉強しないと・・・。

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