言葉に対する感度を上げる

昨日からTwitter上で言葉に関して他の方とやり取りしたり、書いたりした。そもそも、日頃から私が書く内容は言葉に関することが多いと思う。

幾度も書いたが、言葉はコンサルタントにとって唯一の武器。

加えて、認識のための大切な手段。「考える」というコンサルタントの本分を果たす上でも、言葉に対する感度を上げることが必要となる。

この中で、「言葉に対する感度を上げる」ということについて。

ひょっとすると「言葉を正しく使う」という捉え方をされるかも知れないが、私は必ずしもそうではないと考えている。

勿論、言葉の正しい意味を理解することは必要なのだが、「言葉を使って顧客を動かす」という観点に照らすと、「相手がどう理解するのか/印象を持つのか」ということに意識を払うことが必要となる。

Twitterで書いた例で言えば「リストラ」。

元々は「Restructuring」で、直訳すると「再構築」。ビジネスの中では事業ポートフォリオや仕事の進め方、費用の構造等を再構築するということになる。

しかし、日本では「首切り(解雇)」のイメージが強過ぎると感じている。そのため、本来的な意味で「リストラ」と述べても、聞いた側は瞬時に「人員整理」といった受け止め方をする危険性はかなり高い。

勿論、前提としてしっかりと定義を確認した上で使えばその場は問題無いかも知れないが、怖いのは資料が独り歩きし始めた時。

それこそ、表紙に「貴社事業のリストラの進め方」などとタイトルが打たれた資料が役員のデスクに置いてあり、空席の際にたまたま訪れた課長あたりがそれを見たらどう捉えるか・・・。

また、例えば「効率化を進める」という言葉。

あくまでも傾向かつ私が持っている印象だが、労働集約的な事業/業務においてこの言葉を使うと、「人員削減」を連想させることが多く、時として抵抗感を生む。

一方で製造現場などでは純粋に「カイゼン」などの意味で受け取り、「既に必死で取り組んでいること」で、むしろ「何も言っていないのと同じ」というような捉え方になる傾向が高いように感じている。「効率化を進める」と言っても、「当たり前のことしか言っていないけど、具体的には何?」という問いを逆に受ける。

こういった細かなニュアンスだが、特に従業員向け説明など、日頃の議論に参加しておらず、日頃の議論の相手(経営層)と視座が異なる方を相手にする場合には少し神経を尖らせる必要が有る。

言葉を選ぶ際には「正確な定義」ではなく「想定される相手の解釈や心象」を基準にした方が良いと思う。

また、私は「言葉を置く」とか「言葉を紡ぐ」という表現を良く使っていると思う。

これは、言葉(単語)は単体ではなく、それ自体が文脈を作り上げると思っているため。

その言葉を文章の中に「置いた」時、その文章全体がどのような意味を帯びるのか。

その言葉を他の言葉と組み合わせた時、どのような意味が「紡がれる」のか。

ここに意識を払うことが必要。

その中で有効なのが、昨日、Twitterでやり取りさせて頂いた「『素直』と『謙虚』の違い」といったような、「似ているがニュアンスが違う」言葉の違いを言語化すること。

これを考える癖を付けると、言葉をふと置いた時に「あれ、これってこの言葉で良かったっけ」と気になるようになる。少し気持ち悪い感じ。

このような「気持ち悪さ」を感じられるようになるまで訓練が必要だと思う。

(前提として、辞書は必ずすぐに手に届く所に置いておいた方が良い:勿論、電子辞書でも良い)

これは、一人で考えるよりも何人かで考えた方が良い。

他の人に聞いてもらうと、「それだとこういった解釈もできる」といったような新しい視点を出してもらえたりと、気付きが非常に多い。

振り返ると、前職で楽しかったのは、このような言葉の違い、もしくは複数の類似企業の戦略の違いなどを言語化する議論が多かったこと。しかも飛び切り優秀な奴らと。

近くの席の人に「この言葉とこの言葉、俺はこういう違いだと思うけどどう?」と聞くと、「いや、それよりこの要素の違いではないですかねぇ」と議論が始まり、いきなり遠くのブースの人から「こういう解釈の方が良くない?」という飛び入り参加が有るなど。

これがかなり能力や感度の向上に繋がっていたと思う。

ちなみに、戦略の違いを端的に言語化する議論は更に面白いし、戦略コンサルタントの能力を直接的に引き上げると思う。

但し、これはやる相手を選ぶ。常に感度高く世の中の色々なものを見ており、かつ、本質を見抜く力が高い人とやらないとキャッチボールにならない。

これが「場」の価値。

最近、Twitterにそのような価値を見出しつつある。オフィスでのスタッフとの会話よりも遥かに頭が活性化する。

一流の人とやり取りさせて頂いているので、そうなるのは当然だが。

ちなみに、前述の「素直」と「謙虚」の違い。

昨日のTwitterの時点での考えは下記の通り。

今、改めてもう少し考えると。

「素直」は「言われたことを真っ直ぐ受け止める」という「行動」のみを表現したもの。

「謙虚」はそれに加えて、「自分の能力はこの程度」という自己認識を持っているという「心理」が掛け合わさったもの。

(「行動」を「結果」に、「心理」を「前提」と置き換えても良いかも知れない)

そして、これを書いていて、ここで表現するのに「行動」という言葉が適切なのか・・・と気持ち悪さを感じた。

「行動」は物理的な動きという印象が強いが、ここでは物理的というより心理的で、そうすると・・・というのはきりがないので止めておく。

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