「考える」とは何なのか

コンサルタントに限らないが、「考える」ということで決定的な要素は「言語化」。これが出来ないと「考える」ことは終わらない。

考える能力が低い人を見ていると、そもそも「考える」ことのゴールが分かっていないように感じられることが多い。「しっかりと考えろ」と言われると、ただひたすらウンウンと唸っているような状態。
これだとモヤモヤした状態から抜け出すことが出来ない。考えているようでいて、実は何も考えていないのと同じ。ただ時間を浪費するだけ。

とにかく「言語化」することは重要。

一方で「言語化」の対象は何なのか。言語化は確かに「考える」ことのゴールにはなるが、スタートにはならない。

「考える」ことの起点は「感じる」ことだと思う。もう少し絞ると「違和感を覚えること」。
様々なことを見たり聞いたりすることを通じて、「なぜこのような状態が起こるのか」もしくはもっと漠然と「何だか変」ということを感じる。

この違和感を起点に「その違和感が何なのか」、「なぜ起こっているのか」等を言語化する作業が「考える」ということだと思う。そして、それによって初めて「認識」することができる。認識さえしっかりとされれば、解決方法は自ずと見出せることが多い。

コンサルタントの場合、世の中の動きと顧客の動き、もしくは従業員の想いと経営層の想いなど。これらを見て行く中で違和感を覚えることが起点。「顧客の動きが世の中の動きに合っていない」、「従業員と経営層の想いが乖離している」といったこと。
この感覚を起点に「その違和感は何なのか」、「それがなぜ起こっているのか」を順に言語化して行く。

言い換えると、何も感じないと思考は始まらない。

コンサルタントが常にアンテナを張り、顧客内外に生じていることに敏感になることが必要なのはこれが理由。「感受」は「感じるか、感じないか」の勝負。日頃の様々な鍛錬(経営・業界について学ぶ、顧客について理解する、様々な人と話す 等々)の賜物だし、センスも必要だと思う。

コンサルタントで言うと、マネジャー以上の成長は、この「感受」力の向上が大きいように感じる。特に組織の問題などへの感度が非常に高まる。

そして「言語化」。

「感受」だけで「言語化」に至っていない状態というのは、いわゆるモヤモヤした状態。何となくボヤっと状態を理解しているものの、それを説明することが出来ない。
「言語化」できないということは「認識」もできないということ。言葉は認識の手段なので、言い換えると言葉に落ちない限り認識はできない。

そうすると、「考える」能力を高めるために必要なのは「感受」力を高めることと「言語化」力を高めること。

前者は前述の通りアンテナの張り方の問題が大きい。そして後者は訓練の問題が殆ど。

今まで、「論理的思考」がコンサルタントの思考の代表のように扱われていることに非常に強い違和感を持っていたのだが、そのモヤモヤが何となく晴れたように感じる。
「論理的思考」は「言語化」の手段の一つに過ぎない。結局「感受」の部分は直感に依る。スタッフなどから「どうしてそのような結論に至ったのか思考のプロセスを知りたい」と言われても説明できないのは、起点が直感だから。

最初、非常に漠とした違和感を覚える。「表面的に問題無いように見えるし、上手く説明できないけど、絶対何かが違う」という直感が働く。この直感は経験もかなり大きい。

その違和感を説明するために色々と言語化を試す中で、あるタイミングで「この説明だとスッキリする」というものが見付かる。

そこから先は一気呵成。一気に解決策まで見出せる。

少しスッキリ。

しかし、まだかなり考えが粗いので、改めてもう少ししっかりと考えたいと思う。

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