私のブログやtwitterに対する考え方。
twitterもブログも、その時に考えたことを記録しているだけで、時間が経ったら全く違うことを書いていることも有ります。考えが変化しないのは成長していないことと考えているので朝令暮改上等です。
また、「こうすべき」ということを私が出来ているとは限りません。むしろ自戒が多いです。— 小暮 隆(仮名) (@KogureTakashi) 2020年2月4日
このアカウントでのブログは今年(2020年)の1月から始めたが、ブログ自体は15年前とかから書いており、色々と考えを書き続けている。
その上で、考え方の後段について。
私がブログ等を書いている理由は、誰かに何かを伝える、というよりも、自分のその時々の考え方を記録に残すため。
一時期はブログを完全非公開にして書いていた。
自分自身の立場も色々と変わって来ているので、過去の自分のその時の立場での考えなどを見ることは、(今の)自分にとって新しい発見になったりする。
最初からそこまで考えていたわけではないが。
この中で、かなり偉そうなことを書いているのは認識している。(尤も、日常でもかなり偉そうに振舞っているのは別に置いておくとする)
だが、前述の通り、別にこれらを全て私が出来ているわけではない。むしろ、不十分なものの方が多い。
「こうすべき」といった論調のものは基本的に
- 私が今現在の自分自身に対して「こうすべき」と考えていること
- 過去に自分自身が十分にできておらず「こうしておけば良かった」とある意味では後悔しており、当時の自分自身に対して「こうすべき」と考えていること
- 自分自身がやって非常に良かったと感じており、特に若手に対して「こうすべき」と考えていること
の3つだが、圧倒的に2番目が多く、その次に1番目、そしてたまに3番目という感じ。
「後悔録」と受け止めて戴いても良い位に。
そして、これを書いていて「同じような感覚が他でも有るな」と思い気付いたのが、同様のことを人事考課でもやっている、ということ。
人事考課では若手の課題などを示すことが必要だが、なぜそうなっているのか、何が足りないのか、といったことが痛い程分かるケースが多い。
そして、それらの指摘事項を書いている際に、自分自身もまだ不十分と感じていたり、そのスタッフと同じ立場だったころに取り組みが不十分で、今でも苦労していると感じることが出て来たりする。
とは言え、自分自身が出来ていないから、若手に対して指摘してはいけないわけではない。
むしろ、そういった後悔が有るからこそ、若手に伝えるべきだと思う。
そうすると重要なのは「自分のことを棚に上げる」ということ。
自分が出来ているかどうかを意識したら、人事考課など恥ずかしくて間違っても出来ない。
人事考課では、相手に伝えながら自戒もしている。
(ちなみに、考課面談の際には、自分が同じような状況だったために被った「痛い目」の体験談をなるべく多く伝えるようにもしている)
スポーツのコーチも、必ずしも一流の選手だったわけではない。自分が出来ていないと物が言えないのだとしたら、誰もイチローに指導などできなかったはず。
けれども、選手としては無名だった(場合によってはプロ選手としての経験も無い)一流コーチが実際に多く存在する。
「マネジャー」とも「リーダー」とも違うもう一つの上位者の役割と言うかタイプが「コーチ」だと思う。
この3つの役割を、状況・相手によって上手く使い分けることが必要なのかと。
ちなみに、コンサルタントという仕事自体も、こういったことは有るかと思う。