人事考課とソーシャルでの発言は自分のことを棚に上げた方が良い

私のブログやtwitterに対する考え方。

 

このアカウントでのブログは今年(2020年)の1月から始めたが、ブログ自体は15年前とかから書いており、色々と考えを書き続けている。

その上で、考え方の後段について。

 

私がブログ等を書いている理由は、誰かに何かを伝える、というよりも、自分のその時々の考え方を記録に残すため。

一時期はブログを完全非公開にして書いていた。

自分自身の立場も色々と変わって来ているので、過去の自分のその時の立場での考えなどを見ることは、(今の)自分にとって新しい発見になったりする。

最初からそこまで考えていたわけではないが。

 

この中で、かなり偉そうなことを書いているのは認識している。(尤も、日常でもかなり偉そうに振舞っているのは別に置いておくとする)

 

だが、前述の通り、別にこれらを全て私が出来ているわけではない。むしろ、不十分なものの方が多い。

 

「こうすべき」といった論調のものは基本的に

  • 私が今現在の自分自身に対して「こうすべき」と考えていること
  • 過去に自分自身が十分にできておらず「こうしておけば良かった」とある意味では後悔しており、当時の自分自身に対して「こうすべき」と考えていること
  • 自分自身がやって非常に良かったと感じており、特に若手に対して「こうすべき」と考えていること

の3つだが、圧倒的に2番目が多く、その次に1番目、そしてたまに3番目という感じ。

「後悔録」と受け止めて戴いても良い位に。

 

そして、これを書いていて「同じような感覚が他でも有るな」と思い気付いたのが、同様のことを人事考課でもやっている、ということ。

 

人事考課では若手の課題などを示すことが必要だが、なぜそうなっているのか、何が足りないのか、といったことが痛い程分かるケースが多い。

そして、それらの指摘事項を書いている際に、自分自身もまだ不十分と感じていたり、そのスタッフと同じ立場だったころに取り組みが不十分で、今でも苦労していると感じることが出て来たりする。

 

とは言え、自分自身が出来ていないから、若手に対して指摘してはいけないわけではない。

むしろ、そういった後悔が有るからこそ、若手に伝えるべきだと思う。

 

そうすると重要なのは「自分のことを棚に上げる」ということ。

 

自分が出来ているかどうかを意識したら、人事考課など恥ずかしくて間違っても出来ない。

人事考課では、相手に伝えながら自戒もしている。

(ちなみに、考課面談の際には、自分が同じような状況だったために被った「痛い目」の体験談をなるべく多く伝えるようにもしている)

 

スポーツのコーチも、必ずしも一流の選手だったわけではない。自分が出来ていないと物が言えないのだとしたら、誰もイチローに指導などできなかったはず。

けれども、選手としては無名だった(場合によってはプロ選手としての経験も無い)一流コーチが実際に多く存在する。

 

「マネジャー」とも「リーダー」とも違うもう一つの上位者の役割と言うかタイプが「コーチ」だと思う。

この3つの役割を、状況・相手によって上手く使い分けることが必要なのかと。

 

ちなみに、コンサルタントという仕事自体も、こういったことは有るかと思う。

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