コンサルファームの世代交代に思うこと

ファーム各社が世代交代の時期を迎えていると感じる。

ファームの(日本法人の)トップは一定期間で替わるものではあるが、ここ最近の交代は、今までとはやや性質が異なって来ているように感じる。

勿論、ファーム各社で異なる状況であり一概に言い切れるものではなく、あくまでも主観、かつ、かなり感覚的なものであることは前提として。

 

このように感じるのは、徐々に、「コンサルタント」という仕事が「市民権」を得てからコンサルタントになった人達がファームを率いる時代になったと感じるからだと思う。

私自身もそうだが、コンサルタントになった時に既に、「コンサルタント」というものが認知され、それなりの評価を得ていた。

 

しかし、私より少し前の世代については、そのような状況ではなかったと思う。

私が転じた時代には既に、例えばキャリア官僚からコンサルファームへの転職というのは既に結構有ったし、それに対して驚きの声を上げる人は別に多くなかった。一方で、私が転じる10年前にそのような決断をする人が居たら、かなりの衝撃だったのではないかと思う。

それ位に、ある時期を境に「コンサルタント」という仕事は急激に市民権を得て、評価を高めて来た。

 

誤解を恐れずに言えば、私より10年前以上前にコンサルタントになったような人は「かなり変な人」だと思う。「普通の人」が選ぶような道ではない。

しかし、今は「普通の人」が選ぶ道になっている。むしろ、「かなり変な人」が選ぶ道ではなくなりつつある。

 

そのため、前述した思いを言い換えると、「『普通の人』がファームを率いる時代になった」ということ。

そして、私自身が今感じているのは「少なくともプロフェッショナルたる『コンサルタント』としては、前の世代の人には叶わない」ということ。

 

簡単に言えば、前の世代に対してスケールダウンしていると感じている。「迫力が弱くなっている」という表現の方が良いのかも知れない。

 

何が違うのか、ということについては色々と考えているが、実は明確な答えが見付かっていない。

頭の良さのようなものは大差無い(むしろ、今&将来の世代の方が良い:私自身の能力がそうであるとは言えないが)ように感じるし、知識の差も変わらないと思う。

しかし、結果として「迫力」が違うように感じる。

 

一つ有るのは「覚悟」の違いなのかと思う。

 

昔のファームは前述の通り、「普通の人」が選ぶような道ではなかった。この意味は、その道に進んだ後に「『普通の人』が選ぶような道」に戻れない(戻ることが難しい)ということ。

今はファームでの経験は転職時にプラスに評価されることも多い。少なくとも、戦略系ファームで5年程度経験すれば転職で困ることは無いと思う。

しかし、昔は違ったはず。

これにより、「コンサルタントになる」という時点で相応の覚悟が求められたのではないかと思う。少なくとも、「コンサルタントとして勝負する」と決めてファームの門を叩いたのではないかと。

 

今、それだけの覚悟を持ってコンサルファームに入る人がどれだけ居るのか。

多分、皆無。

表向き「コンサルタントとして勝負する」と考えている/自分自身でもそのように「考えていると思っている」人であっても、どこかで「とは言え、駄目でも大丈夫だろう」という甘えが有ると思う。

 

加えて、以前は依って立つものが「自分自身」しかなかったが、今はファームの「ブランド」が有る。

現在ファームに属しているコンサルタントについては、多かれ少なかれ「ブランド」に支えられている。少なくとも「ブランド」に守られて育てられて来た。また、「自分で顧客を持っている」と思い込んでいる人でも、その「ブランド」が無くなった時にどれだけその顧客を維持できるのか。

 

この差が、「迫力」というものになって現れているのではないかと。

 

とは言え、この世代交代は当然起こるもの。

そして、ファーム自体も変質し、「個」から「組織」の勝負に転じつつある。この賛否は有れど、これも不可避であり、この時代に適した人材がファーム運営にあたることが必要なのも確か。

しかし、本当にそれだけで良いのか、という点は考えて行きたい。

 

コンサルタントの本来の価値は何なのか。

確かに「ビジネス」としてコンサルタントを捉えた時に、今のファーム各社が取っている方向性は正しいと思う。

しかし、この方向性が更に極まった時に、本来の価値を示すコンサルタントの必要性が強く再認識されると思う。安っぽい言葉になるが「経営者に対するアドバイザー」としてのコンサルタントの必要性。

多分、これらは今、前の世代のコンサルタントの一部が担っていると思っている。シニアなプロフェッショナルたるコンサルタント

 

本来の価値を示すコンサルタントを追求するためには、今一度「覚悟」を改めて取り組む必要が有ると感じている。

 

これらは全て自戒。

 

 

 

ちなみに、分からない人には全く分からない話だと思うが、この状況は過去の(モータースポーツの)F1での話と似ていると感じている。

 

創世期50年代から60年代のF1ドライバーは、正直、正常な神経とは思えない。腕に自信の有る無鉄砲な人の集まり。コンサルで言えば、60年代~70年代に日本に輸入されて来た「戦略コンサルタント」になったような人。

 

その後、「個」で勝負する時代が続いた。F1では70年代から80年代まで。

しかし、その後は「組織」で勝負する時代に変わった。電子化が進み、プログラムの中で「役割」をしっかりと果たすことがドライバーに強く求められるようになった。(そもそも、ドライバーの差よりもマシン(=チーム)の差の方が遥かに重要性を増した)

その結果、80年代までは極端に個性の強いドライバーが顔を揃えていたが、90年代以降、急激に「優等生」が多くなったと思う。

以前は「ドライバーがチームを選ぶ」形だったのが、徐々に「チームがドライバーを選ぶ」形になり、ドライバーはチームから評価されるために従順に(従順でないと大成できなく)なっている。

 

80年代(精々90年代前半)位までにデビューしたドライバーについては、「好きなドライバー」を選ぶ基準の多くがその性格にあったように感じる。そして、(残している結果に関わらず)熱狂的に愛されるドライバーというのが多かった。

(以前は、ドライバー同士が殴り合う、などという話もそんなに珍しくなかったが)

しかし、今のドライバーで性格で語られるような人は殆ど居ないと思う。

 

何かつまらない、と感じるのだが。

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